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  名古屋RC  鈴木 晴視
  ( 椛竄゚し楼 代表取締役 )

 誠に不思議な縁から私が夢に見たあの「MASTERS」を開催する、AUGUSTA NATIONAL GOLF CLUBでプレイをする機会を得ました。

 祖父が戦前からゴルフを和合でしていたお陰で私は小学生の頃からゴルフというものに違和感が無く(勿論贅沢な運動だとは思っていましたが)、幸いにも大学に入学して18歳からゴルフを始めることを祖父は何故か許してくれました。とは言え、田舎から東京に来ている学生でそう思うように出来るわけも無く、名古屋に帰った時に猛練習をしてゴルフ部合宿に行きました。

 当時、慶応のゴルフ部には新入部員が200人位居ましたので 部員を減らすため、毎朝6時に多摩川の練習場に集合して1時間ほどランニングをさせていました(4年間走ったお陰で健康な体が出来たと思います・・・)。部員は卒業時に35人に減りましたが、私の実力は補欠の補欠ぐらいでした。
 ノリタケでの会杜勤務の後、家業の鯛めし楼に入りましたが「ゴルフは日曜日だけ、でもシングルになろう」と思い28歳から猛練習をしました。

 今年でゴルフを始めてから45年になりましたがその間、私には叶えたい3つの夢がありました。
1) セントアンドリュウス でプレイをする事
2) エ一ス(ホール イン ワン)をする事
3) オーガスタで(観るのではなくて)ゴルフをする事 
 10数年前にセントアンドリュウスでプレイをする機会が有り、さらにエ一スの夢も和合の13番で達成できました。残るひとつはオーガスタです。
 私はあらゆる機会を通じ、また、お客様にもお願いしましたがなかなか思うようにはいきませんでした。

 「高橋さん、オーガスタでゴルフしたいんや」「なんでそんなところで・・・?ほな聞いたるわ」BARで飲んでいるときの話です。
 酒の席での話でもあり、すっかり忘れていた私にある日「晴視ちゃん オーガスタ出来るで・・・。」と高橋さん。嬉しさで どの様に返事をしたのか覚えていません。

 2003年2月17日のプレイ日までの間、日々想いはつのり雑誌等今まで集めた資料でコースチェックもして準備も万端。私のゴルフ人生の中でこれだけ充実した事は初めての事でした。

 2月16日 名古屋→成田→ワシントン→アトランタ→オーガスタへと、日曜日の早朝出発、夕方にはオーガスタの町に到着予定でした。
 ワシントン空港には順調に到着しましたが、その日アメリカ北東部は大雪と大寒波で乗り継ぐ事も出来ず「その日の内になんとかオーガスタに着かねば」と取り敢えず南に向かう事になり、TAXIにてリチモンド空港に向かいアトランタ便に乗るべく到着するとやはり雪でだめでした。
 今度はレンタカーでサウスカロライナ州のフロウレンスに向けて出発、高橋さんのアメリカの会杜に勤務するブライアン氏が我々を急遽迎えるためにフロウレンスまで5〜6時間かけて来てくれました。
 夕食を取り、オーガスタに着いたのは午前1時。日本出発から30時間後のことでした。


オーガスタのハウス

練習場の四角錘に並べられたボール

ティーグラウンドのボール洗い

 2月17日 オーガスタナショナルゴルフコースの廻りを1周して気持を高め 午前11時30分オーガスタの正門前で、登録されている人だけが守衛のチェックを受け中に入りました。
 クラブハウスの前でメンバーのトラウトマン氏の出迎えをうけ、今日泊まるチェンバーに入りました。
 このチェンバーは、1番ティーの横に在りボビー・ジョーンズが泊まっていた所で日本の家で云うなら4LDKバストイレ付の部屋です。
 試合の時でもこのチェンバーには、プロは入る事も出来ないし泊まる事も駄目なようです。
 私、高橋氏、武田氏と一人ずつの部屋、そしてメンバーが一番奥の大きい部屋に落ち着き、すぐに昼食。
 いよいよスタート。メンバーのトラウトマン氏(63歳)は心臓が少し悪く、気温が華氏50度を超えないとラウンドしないと云うことです。その日は少し寒くメンバー無しで心配でしたが、3人でプレイすることになりました。
 グリーンの帽子に真白なつなぎを着た、見るからにゴルフが上手そうなキャデーがそれぞれのバッグを担ぎ、まず練習場ヘ。
 ボールが四角錘に綺麗に積んであり適当に崩して打っていく、勿論芝の上で。 大きな練習場なのにプロ達は「この頃よくボールが飛ぶようになった」との事で、やはり奥には 網が張られていました。
 メンバー トラウトマン氏曰く「今年は、5番ホールのクロスバンカーをタイガー・ウッズのためにもう一つ奥に造った」との事。「キャリー260ヤードで越えて行くらしい」という会話をしながら1番をスタート。早くも大きなバンカーが目に付き前途多難を思わせました。
 スタート時間もスタート表も無く如何するのかと心配していると、何の事も無いスタートに来たら順次出て行くのだそうで、しかもコースを見ればかなりの数の女性がプレイしていました。メンバー同伴ならできるのだそうです。
 コースはすべて松の木でセパレートされ、ラフは無く松林の下は綺麗に枯葉で整備されておりました。少し時期が早かったので、あの綺麗なはなみずき、 つつじ等の花木を見ることが出来ませんでしたが、マスターズに向けて古い木を切り取り新しい花木の植栽が行われているところがあちらこちらに見られました。

 皆さんがテレビで楽しまれるあの光景を現実にプレイしてみると、グリーンの大きさ(ほぼ和合に近いように思える)、傾斜の鋭さ、奥行き、池およびバンカーの配置等は、テレビでは判らないものだとつくづく思いました。
 ところで「スコアーはどうだったのか」と皆さんに尋ねられます。胸を張って「81でした。」と答えます。
 いや実はオーガスタには、2つのティーグランドが在ります。1つはメンバーズティー6240ヤード、勿論 私はこのティーからしたのです。もう1つはマスターズティー7290ヤードです。
 あのプロゴルファー達は、このティーから試合をします。実に1050ヤードもの差が有るのです。多分、私がマスターズティーからしたら3桁のスコアーだったと思います。

 もう一つ、オーガスタゴルフ場にはショートコースが有ります。これがなかなか面白いコースで大きい池のまわりを周りながらアップダウンが有り、当然ながら全部ショートコースの9ホールで、4人で廻ると1時間余かかります。ここで毎日練習でもしたら、あるいはこんな所が日本のコースに在ればなぁと思いました。このコースではショートホールコンテストが大会前日に行われ、スコアーと名前が刻まれた歴代のプレートが飾って有ります。

 オーガスタのハウスは入口に1人の女性が居るのみです。その反対側のボードには本日来ているメンバーの名札が掲示されており、そのなかの一人に有名なカリフォルニアのクアーズ・ビールの社長の名前もありました。自分の事も忘れ「遠くから来ているなぁ」と感心していました。
 ハウスの2階には 歴代のチャンピオンが使用するロッカールームが在りタイガー・ウッズの名前も見当たりました。また3階にはアマチュアに限り、出場者が望めば4〜5人が泊まる事が出来るように設備が整っていました。その他にもアイゼンハウワー大統領が愛用した机も飾って在りました。

 「グリーンのジャケットをメンバーは着用しなければいけない」と云う事は 余りにも有名ですがやはり誇りに思えるのでしょう。食堂に行けば各テーブルには必ず一人以上のグリーンジャケットを見ました。
 そのメンバーがあちらこちらと友情の輸を広げているのかと思うと羨ましい限りでした。
 ワインの素晴らしいセラーがあることも日本ガイシの柴田会長から聞いていましたので頼んで見せて貰いました。
 3万本以上のワインが地下に貯蔵されしかも私でも良く知る銘柄が年代別に並んでおり「まぁざっと3億円かな」と、想像したものです。

 私にとっての素晴らしい夢を叶えて下さいました高橋さんには、ただ感謝 感謝あるのみです。と同時に、もう夢が残り無くなり「さて如何しようか?」と、思う今日此の頃です。


これ、グリーンです。
高低差を理解して下さい。

ワインセラーの一部
 
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