ガバナー月信 Vol.4  10月 メニュー
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話の泉C 「栄光への軌跡と共に」 |今月のカレンダー次期スタッフ決定
文庫通信ハイライトよねやま 55号出席報告 (8月分 EXCEL形式)

名古屋瑞穂RC  泉 憲一  (株)泉製作所 代表取締役社長
 残暑の時を過ぎ、やわらかな風を感じるこの頃。本格的な秋の訪れも間近だ。そして「秋」と言えば、私が長年に亘りかかわってきたゴルフトーナメント「東海クラシック」の季節でもある。1970年に産声を上げた同トーナメントも今年で第35回。いまでは国内有数の歴史を誇るトーナメントとして位置づけられるようになった。今年は2001年より続いた「ジョージア東海クラシック」から「コカコーラ東海クラシック」へと大会名称を一新。10月7日から、私が常務理事を務めさせていただいている三好カントリー倶楽部・西コースにて開催される。

 無類のゴルフ好きだった父(弊社創業者・泉 米蔵)の影響で、私がゴルフを始めたのは18歳の頃。学生ゴルファーとして競技ゴルフの道へ進んだ。そして大学4年の時、三好CCで開催された「中部学生ゴルフ選手権」で優勝。それを機に、父がメンバーだった同倶楽部に迎え入れていただいたことが「東海クラシック」とのご縁の始まりだったと言えるだろう。ちょうど第一回大会が行われた1970年のことである。以降、第12回大会までは選手として出場させていただき、1976年、77年にベストアマを獲得。前年の日本オープンでベストアマとなった経緯もあって、当時はプロへの誘いも……。しかし父の跡を継ぐはずだった兄が早逝し、次男の私は競技ゴルフから退くことになった。そんな折り、同倶楽部理事の皆さんからお声がけをいただき、今度は開催クラブ側の人間として「東海クラシック」に携わるようになったのである。

 シーズン後半の大会ゆえ、賞金王争いやシード権争いのカギを握ると言われる「東海クラシック」。その歴史はまさに熱戦の歴史でもあった。第一回大会から国内外の一流選手たちが数多く参戦し、じつにドラマティックな展開が繰り広げられてきたのである。古くはリー・トレビノ、ヘイル・アーウィン、トム・ワトソンといった往年の名手たちも参戦。素晴らしい技を日本のファンに披露してくれたものだ。日本勢では青木 功、尾崎将司らの黄金時代とも歴史の大半を重ね合わせてきた。私はそんな数々の「栄光への軌跡」を目の前にする機会を得ただけでなく、私自身のライフワークとして「東海クラシック」に携わる幸運にも恵まれたのである。特に常務理事の大役を任された後は、コースディレクター的な立場でより深く参画。毎年このうえなく大きな楽しみを感じつつ、コースセッティングの難しさを体感している。

 点で攻めるプロならではの技術を引き出し、良いショットには良い結果を、悪いショットにはペナルティを。それが、私の考えるフェアなコースセッティングの基本だ。それにはフェアウェイの割り出し方ひとつにも緻密な計算が欠かせない。時にコースの改修も必要になるだろう。ギャラリーを沸かせる素晴らしいプレーは、そうした素地から生まれると言ってもいい。ただ、トーナメントのためだけにコースが存在するわけではないから、あくまで日常の管理精度の維持を前提にして取り組む姿勢が大切でもある。

 もちろん、変化は決して悪いことではない。ゴルフコースは生き物であり、恒久的なものではないからだ。方向性や変革の理念をしっかりと保ち、そのものが本来持っている「魅力」や「らしさ」を損なうことなく、時代の流れに呼応していく。それは変化の激しい現代の企業経営にも通じることだろうと思う。この教訓も、亡き父がゴルフを通じて残してくれた大切な財産のひとつだと私は思っている。

 さて、今年はどんなドラマが三好CCで繰り広げられるのだろう?
私は今年もまた、自分自身の存在が「新たなる栄光への軌跡と共に」あることを、心からうれしく思う。


( 左端が筆者 )
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