ロータリークラブ(国際ロータリー第2760地区 ROTARY International District 2760)

国際協議会でのRI会長の挨拶

K.R.ラビンドラン 2015-16年度国際ロータリー会長

K.R.ラビンドラン夫妻

「ワールドクラス」のガバナーの皆さん、この素晴らしき組織のリーダーとなる準備を整えるために、私たちはここに集まりました。皆さんと過ごすこのひと時は、私にとって喜びであるだけでなく、おそらく人生で最も大切なときとなるでしょう。

人生には、物事を一変させるような、極めて重要な瞬間というものがあります。その後のあらゆる経験は、この瞬間を基軸として測られることになります。自分の人生を形づくった出来事を振り返るとき、私たちは、その出来事が起こる「前」と「後」に分けて考えます。「あのときにすべてが変わった」と言えるような瞬間です。

今晩ここにおられる皆さんにとって、まさに今がそのときだと思います。

自宅、職場、家庭、クラブなど、世界はいつもと変わりなく存在しています。しかし、ここサンディエゴで、私たちの世界は変わりつつあります。私たちのビジョンが形を成し、理解、大志、意欲が広がりつつあります。

今週、ロータリーという組織の幅と深さ、そして、それを取り巻く複雑さをご理解いただけるでしょう。これまでは、ロータリーを批判的に論じることがあったかもしれません。今、私たちには、ロータリーにおいて改めるべき点を正そうと努める特権、そして重要な責任があります。

目の前に広大な地平線が広がっていますが、限りがないわけではありません。私たちがリーダーでいられるのは1 年間だけです。7 月からの366 日間、一日一日が限られた貴重な時間であり、この時間は二度と訪れません。

時間が限られていると知れば、その時間は一層貴重なものとなります。何かを成し遂げ、創造し、「自分は大切な存在としてここにいた」という証を残したいという気持ちが、ますます強まります。だからこそ、多くの方が、ロータリー役員としての1年を、その証を残す一生に一度のチャンスだと考えるのです。

しかし、私はこう申し上げます。もし本当に変化をもたらしたいなら、自分の存在の証をロータリーに残すのではなく、ロータリーの活動を一番に優先して、ロータリーの存在の証を世界に残すためにこの1 年を捧げてください、と。

私たちの命は永遠ではなく、人生にはいつか終わりが訪れます。しかし、そのことを忘れがちです。インドの詩人、タゴールの言葉のように、「楽器の弦の張替えばかりをしていて、肝心な歌を歌わずに」毎日を過ごしています。

毎時間、毎日、毎年が、自分に与えられたものであり、貴重で、あっという間になくなり、かけがえのない時間であると、私たちはどうしたら気づくでしょうか。

生まれると同時に、私たちはいろいろなものを授かります。最初に授かるのは、命です。そして、愛、思いやり、家族を授かり、教育、健康を授かり、学びを通じて才能と能力を授かります。人生において、親、友人、伴侶、子ども、生計手段、物質的な豊かさなどは、どれも私たちに授けられたプレゼントです。ありがたさに感謝の気持ちでいっぱいになることもあるでしょう。私は、数カ月前に初孫が生まれたとき、そして、皆さんと過ごす今晩も、そのような気持ちです。

今皆さんはこうお思いでしょう。このようなありがたいプレゼントに、一体いくつ恵まれてきただろうか、と。私は自分に、そして皆さんに、次のように問います。どうしたらその恩返しができるでしょうか?人生の終わりを迎えるとき、与えられたものを無駄にし、後世に何も残さなかったと悟るのでしょうか。それとも、人生を振り返り、この世を去るときに自分の善き行いが後世に生き続けると知るのでしょうか。人生は1 度しかありません。そして、2015-16 年度のチャンスも1 度しかありません。その時間はあまりに短く、成すべきことはあまりに多くあります。

私たちの第一の課題、そして最も重要な課題は、ポリオの撲滅です。

25 年以上前に私たちがポリオ撲滅の誓いを立てたとき、125 カ国にポリオが常在し、毎日1,000 人以上の子どもがポリオによる麻痺(まひ)障害を患っていました。

現在、ポリオ常在国は3 カ国、そして昨年のポリオ症例数はわずか333 件となりました。

そのほとんどは、パキスタン一国から報告されたものです。この国で私たちが闘う相手は、ポリオウイルスだけでなく、無知、残忍さ、抑圧の力です。私たちの課題は、ワクチンを子どもの口に届けるだけでなく、殺戮者たちから予防接種従事者を守ることでもあります。タリバンが、幼子の予防接種に向かう女性たちをオートバイから銃撃し、罪のない子どもたちを教室で殺害するという残忍な手段に訴える中、パキスタン政府と市民は、ロータリーとともに、ポリオのない未来を実現するために力を尽くしています。

このような事態になるとは、25 年前には誰も想像できませんでした。しかし、25年分の活動、そして何百万という人たちの信念、献身、信頼が、卑劣な敵によっておとしめられることはありません。私たちは闘い続け、必ずや勝利します。なぜなら、私たちは、ポリオのない未来をプレゼントすると世界の子どもたちに約束したからです。私たちは必ずや、このプレゼントを子どもたちに贈ります。

ロータリーは膨大な可能性を秘めています。しかし、多くのクラブや地区の現実に目を向けると、ロータリーのあるべき姿が映し出されていません。

当組織を形づくった基本に立ち返る方法を見つける必要があります。それは、人生のあらゆる場での高い倫理基準、そして、各クラブに会員の多様性をもたらす職業分類です。

これらは、会員増強の足を引っぱる障害にすぎないと見られることがあまりに多いのが現実です。しかし、これらはロータリーの成功に欠かせない要素であり、なおざりにすれば、自らの存在を危うくすることになるでしょう。一度決めたことをやり抜くための豊富な知識とスキルを備えた、誠実な会員がいるクラブこそ、真の「プレゼント」となるのです。

しかし、ご承知とは思いますが、今日のロータリーを一世紀前と同じように語りながら、それと同時にロータリーの成長を期待することはできません。私たちは今、新しい現実に生きています。ブランディングの新たな取り組みは、確かに必要なことなのです。世界の多くの地域で薄れつつあるロータリーのイメージをあらためて明確に打ち出す必要があります。

時に、リーダーとしての私たちのロータリーの見方と、クラブのロータリアンの見方との間に隔たりがあることがあります。

ロータリー財団への寄付をもっと奨励し、もっと多くの善いことを行いたいと考える一方で、しつこくお願いしたり、あまりに高額な寄付をお願いしたりすれば、会員は離れてしまいます。

若い会員を迎え入れたいと考える一方で、ロータリーの基幹を成す年配の会員を遠ざけたり、まだ大いに貢献できる、最近退職した会員たちを見過ごしたりするべきではありません。

クラブのレベルを超えた活動に参加し、ロータリーのネットワークにもっとかかわるよう会員に奨励したいと考える一方で、時間や寄付を要求しすぎて負担をかけたくはありません。

これらの課題を解決できる簡単な答えはありません。しかし、何とかして答えを見つける必要があります。それを見つけるのは、ほかでもない私たちです。

皆さんはロータリーの現場を知る方々です。クラブが何を必要とするか、クラブに何ができるかを、皆さんは心得ておられます。ロータリーをまとめ、その可能性を引き出し、みんなで一緒に前進できるよう導くのは、皆さんです。

今後私は、皆さんに多くのことをお願いしていきます。信念、情熱、傾倒、思いやりを捧げるよう、お願いいたします。これらだけでなく、もっともっと多くを捧げてください。なぜなら、次年度には、自らを世界へのプレゼントとして捧げていただきたいからです。

ロータリーで私たちは、善き行いを目指しています。人類に大きなプレゼントを残した、歴史上の偉大な人たちを尊敬し、称えます。大勢の人に人間の尊厳を与えたアブラハム・リンカーン。疎外された人たちに慈悲の心を捧げたマザー・テレサ。虐げられた人たちに平和的な変化を与えたマハトマ・ガンジー。

彼らは皆、人びとのために人生を捧げ、自らが世界へのプレゼントとなって、自分自身を捧げました。

もちろん、私たちは彼らと同じではありませんし、同じ人生を歩みたいとは望んでいないかもしれません。しかし、これら歴史上の人物から刺激を受け、模範とすることはできます。この人生において、自分が大切にする諸々の責任をおろそかにせずに、どうしたら自らを世界へのプレゼントとして捧げられるだろうか、と。

それは可能なことであり、私たちはそれを実行します。なぜなら、私たちは一体となってこのチャレンジに挑むからです。「世界へのプレゼントになろう」。これが、私から皆さんにお願いすることであり、私たちを導いていくテーマです。

ロータリーで私たちはリソースを捧げますが、何よりも大切なことは、自分自身を捧げることです。ただ「手渡す」のと「手を差し伸べる」のには大きな違いがあります。特に、思いやりの心をもった温かい手であればなおさらです。幼い頃、思いやりと愛のこもったささやかなプレゼントは、気持ちのこもっていない高価なプレゼントよりも貴重であると、誰もが子ども心にも理解していたと思います。

ここサンディエゴでも、人のために何かするときには、全身全霊を込めてはじめて価値があるということを、私たちは理解しています。

だからこそ、皆さんにお願いします。「世界へのプレゼントになろう」、と。

このテーマを考えているとき、ヒンドゥー教を通じて私が学んだある教訓を思い出しました。ここで、スダマの物語を皆さんにご紹介したいと思います。

非常に貧しい少年スダマは、神の化身として王家の一族に生まれたクリシュナの親友でした。2 人の少年は、成長するにつれて少しずつ疎遠になり、クリシュナが軍を率いる名高き王となった一方で、村人スダマはつつましく、どちらかというと貧しい暮らしをしていました。何年も経った頃、スダマは生活に困り、子どもに食事を与える十分なお金さえなくなってしまいました。妻は、幼い頃に親しくしていたクリシュナに助けを求めるよう提案しました。最初は躊躇していたスダマも結局同意し、手ぶらでは申し訳ないと、いくらかの米を布に包んで持っていきました。

スダマを見たクリシュナは大喜びし、親切に愛情をもって迎えました。その高貴な生活ぶりに圧倒されたスダマは、恥ずかしさのあまり持参した米を差し出すことができません。クリシュナは「何を隠しているのか」と尋ね、布を開いて中の米を見ると、喜んでこれを食べました。数時間後、変わらぬ友情に感激したスダマは、助けをお願いすることをすっかり忘れてクリシュナの元を去りました。

帰り道、スダマは、当初の目的を忘れていたことに気づき、子どもたちがまだ腹を空かせていることを思い出しました。しかし、自宅に着くと、そこにあったのは、彼が出たときと同じ小屋ではなく、美しい家でした。家の前にはきれいな服を着た家族が立っています。十分な食事を済ませた家族は、スダマを出迎えようと待っていたのです。

これはなぜでしょうか? クリシュナは、スダマが自分のためにプレゼントをもってきてくれたこと、ありったけの米を自分にくれたことが分かっていたからです。そのお返しに、クリシュナは、スダマが必要とするすべてを与えたのです。

この逸話の教訓は、受け手にとって大切なのは、その物質的な価値ではなく、贈り主の心がどれだけ込められているか、ということです。私たちには選択肢があります。授けられたものを自分の元だけにとどめるか、またはそれを生かして自らが「世界へのプレゼント」となるか、です。

私からの皆さんへのお願いは、授けられたものを、入念に、賢明に、そして惜しみなく生かすことです。授けられたものを生かして、今は家で座っているだけの少女が、誇らしげに歩き、来年には学校に通えるようにしてあげることです。

灌漑設備のない不毛な土地が、来春には農作物で青々となるようにすることです。

貧困の輪を断ち切って、貧しい人たちを救い、社会の底辺に生きる人たちに希望というプレゼントを与えることです。

ここにおられる皆さんは、多くを授けられた方々です。そして今、皆さんに最高のプレゼントが与えられようとしています。それは、授けられた才能と持ちうる力の限りを尽くして、「世界へのプレゼント」となることのできる1 年です。

可能性を現実にするために皆さんに与えられた時間は1 年でのクラブを導き、人びとの人生を変えるために与えられた時間は1 年です。永遠に続くモニュメントを築くために与えられた時間は1 年です。このモニュメントは、御影石や大理石に彫られるのではなく、今後何世代にもわたって人びとの人生と心に刻まれるものです。

この機会は二度と訪れません。今を逃さずに生かそうではありませんか。

世界へのプレゼントになりましょう。

ご清聴ありがとうございました。